赤松氏の思い出深いルアーのひとつが【G.C.ザリバイブ 67】。
これは2014年にリリースされた村上晴彦デザインのザリガニ型バイブレーションである。
発売から約10年経ってもアングラーから高い支持を得続けており、デザイン、釣獲力合わせてもはや「銘品」の域に達した、ISSEIを象徴するルアーのひとつ。
その ”ザリバイブ” と ”赤松健” が紡ぐエピソードに迫ってみた。
【忘れられない出来事】
ザリバイブは2013年のISSEI設立の翌年、2014年にリリースされた。
「2013年はISSEIが立ち上がったばかりで製品も少なかったし、フィールドスタッフとかそういったものもなくて、釣りサークルというか、みんなで集まって楽しく遊ぼう…みたいな感じでしたね。その当時から村上さんはザリバイブの開発を進めていました」
村上氏のことだから画期的なバイブレーションができるのだろう。
赤松氏は漠然とそう感じていた。
そんな2013年の暮れ、ISSEIの滋賀事務所で関係者を集めた忘年会が催された。
「事務所で村上さんが鍋を作ってみんなにふるまってくれたんですよ。お酒も飲んで、盛り上がって、帰れない人続出(笑)。事務所で寝袋で雑魚寝してみたいな、部活動のようでしたね。すごく楽しかったんですよ」
赤松氏も心地よい酔いとともに寝袋にくるまって眠りについていたが、村上氏の声でふと目が覚めた。
「村上さんが誰かと電話で話をされていたんです。おそらく相手は釣り業界の方だと思います。村上さんが珍しく語気を強めて開発中のバイブレーションの話をされていました」
盗み聞きをしたかったわけではないが、この状況では起き上がるのも気まずく感じ、すんなりと眠ることもできない。
赤松氏はそのまま経過を見守ることに。
「会話の内容から開発中のバイブレーションのことでした。”ザリガニ型のバイブレーションなんて売れるわけがない” といったことを言われていたんだと思います。村上さんは ”いや絶対に受け入れてもらえる” 、 ”必ずいいものになるから見といて!” と熱く語られていました。その熱量が本当にすごくてただただじっとしているしかなかったんです。たぶん、僕がこっそり聞いていたことは村上さんも知らないと思いますよ(笑)」
村上氏がそこまで言い切るバイブレーションも気になったが、赤松氏がもっとも刺激を受けたのは、村上氏のモノ造りへの熱量の大きさ、濃さだった。
「あのときあの熱量に触れることができてよかったです。もっともっとがんばらないと! という気にさせられましたから」
【欠かせないルアーへ】
2014年。ザリバイブが完成ののちリリースされた。
村上氏が熱く語ったように、このルアーはバスシーンへ大きな影響を及ぼした。
独創的なデザイン&高い釣獲力は一気にバサーの心をつかんで大ヒット。
心をつかまれたのは赤松氏も同様だったという。
「ザリバイブって破壊的に釣れるんですよ。しかも大きなバスが釣れる。それまで僕が抱いていたバイブレーションへの概念を一新させられました」
赤松氏が抱いていたバイブレーション像の特徴は大きく3つ。
1. 数を釣るためのルアー
2. 引き抵抗がさらっとしている
3. 手返しよくスピーディーにサーチできる
実際によく使っていたバイブレーションもさらっとした引き抵抗のものだったそうで、それまでとは比較にならないほど強く振動するザリバイブには当初、違和感があったという。
「違和感を覚えながらもザリバイブを使っていくうちに『この振動がデカいバスに効くねん』と村上さんがテスト中にふっと言われていたのを思い出したんです。そのことを念頭に釣りをしていくと、大きなバスが釣れるし、使いどころが理解できてきました。すると抱いていた違和感がいつの間にかなくなっていたんです。もしザリバイブと出会ってなければきっと『AKパンチ』は生まれていないと思います」
その後も赤松氏は『ザリバイブ67』で数々の60cmUP、50cmUPを釣り上げた。
ちなみに2014年の暮れに、村上氏は『ザリバイブ67』で自己記録となる64cmを釣り上げている。
こうして『ザリバイブ67』は赤松氏に大型のバスを手にさせてくれるウエポンのひとつとなった。
抱いていた違和感が一転、いまやタックルボックスに入っていないと不安になるほど信頼しているルアーのひとつだという。
【本家超えに挑戦? 1人ザリバイブ研究】
赤松氏がひとつのルアーボックスを見せてくれた。
中にはいくつかのザリバイブが入っていた。
無塗装、自家塗装、サイズもいろいろ。
すべて赤松氏がオリジナルモデルをアレンジしたものだという。
「音やアクションを変えることでどんな変化があるのか、ひょっとしたらもっと釣れるようなるんじゃないか、アレンジしてみたいと村上さんにお願いしたら快くOKしてくださったんです。時間を見つけてはいろいろ試しているんですが、いまのところオリジナルを超えることはできていません。さすがだと実感するのと同時に村上さんは10年も前にこれを造ったのかと思うと、自分はまだまだ未熟で学ばないといけないことが多いんだと確信できますし、刺激ももらっています」
今後も研究は続けていくとのこと。
このように10年経ったいまも赤松氏に影響を与え続け、【AKパンチ】誕生のきっかけともなった。
この記事を読んでくださっている読者貴兄の中にも刺激を受けた、記録バスはこのルアーだったという方も多いのではないだろうか。
『ザリバイブ』。
色褪せぬ銘品は今後もISSEIの象徴としてその存在感を強め続けていくだろう。