オカッパリゲームの天才・村上晴彦氏はどのような道を歩んで現在に至るのだろうか? 釣りを好きになったきっかけは? はじめて造ったルアーとは? なぜプロアングラーになったのか? ISSEI立ち上げまでの歴史を紐解いていこう。
大阪に生まれた村上氏。父親が釣り好きで、物心がつく前から連れられて海釣りへ行っていたという。
では釣りに目覚めたのはそのころなのだろうか?
「幼少期のころは釣りがしたいとか思って行ってはいなかったでしょうね。車で寝ていて起こされて魚が掛かった竿を持たされてみたいな感じでした。当時のことでうっすら覚えているのは、砂浜で穴を掘ると水が湧き出たのに感動したとか、貝殻を拾い集めるとかそういうことです。水辺には僕の興味を引くものがたくさんあったんだと思います」
父親が「帰ろう」と言うまで飽きることなくずっと海辺をウロウロしていたと村上氏。
「今思えば放っておいても帰ろうと言わない子だから、父親としては楽だったんじゃないですかね。子どもって、すぐ飽きて帰ろって言い出すでしょ。実際に弟はそうだったので、父親が釣りに連れていくのは次第に僕だけになっていきました」
物心がついたあと、竿を持つようにはなるが、父親に付いて行っているだけで、自発的に釣りに行っている感覚は相変わらずなかったという。釣りをするが、それよりも海辺で種類が違うカニを探したり、波止周りにいる生物を捕獲するほうが多かった。
「このころは山に行けばクワガタやカブトムシを採ったり、その幼虫を探したりしていました。とにかくいろんな生き物を捕まえてたし、飼育していましたね」
そんな村上少年がついに釣りに目覚めることとなる。
それは小学校6年のとき。同級生から地元の安威川(あいがわ)へ釣りに行こうと誘われたのがきっかけとなった。
「これは釣りがしたかったからでも、友達と遊べるからでもなくて、安威川に行けばいろんな生き物が獲れるな〜と思って参加したんですよ。釣具も持たず手ぶらで行きましたね」
そして釣りをする同級生を他所目に川辺で生き物採取をしていた村上少年だったが、ふと目に入った景色が気になった。
それは砂が堆積してできた所に四角い石が倒れており、そこへ川の流れが当たって、砂がえぐれて少し深みになった所だった。
「石の陰に魚がいる!」
そう感じたという。それまで体験してきた、生き物との触れ合いがそう判断させたのかもしれない。
「友達に糸付きの鈎と糸をもらって、それを結んで全長を伸ばしました。この仕掛けとミミズをエサにして石の際にスーっと落とし込んだら釣れそうな気がしたんですよ。そしたらドンコ(※)が釣れました」
※)ドンコ:全長は25cmに達する、日本産の淡水ハゼ類ではカワアナゴ類に匹敵する大型種
予測したことが現実になった。村上少年は翌日も同じことをやりたくて、手釣り仕掛けとミミズを持ってドンコを釣りに行き、ドンコを釣り上げたという。
「そのドンコを飼育して慣れてきたらまた新しいドンコを釣りに行って飼育してましたね。釣りに目覚めたのはここだったかなと思ってます」
その後、手釣りに限界を覚えた村上少年は次なるステップへ進んでいくのだった。
続く