釣りに目覚めた村上少年は手釣りからの脱却を図ることに。
「竿が欲しいと父親に言ってみると、使っていない2.7メートルの渓流竿をくれたんです。それが最初の自分専用の竿でした。古い竿だったので塗装が変質してブリスター状になっていて気持ち悪かったから、カッターの刃でガリガリ削ったのを覚えてます」
その竿と小麦粉とサナギ粉を混ぜた自作の練りエサを持っては川に出かけて釣れる魚を狙っていた。
ドンコのほかにもフナやオイカワ、カマツカを釣っていたという。
「このころは練りエサが腐るなんて知らないので、1回作った練りエサを繰り返し使おうとしてたんですよ。それで3回目に使おうと思ったらニオイがひどかった(笑)。それと釣り場で釣りに詳しい人に出会って、エサを分けてもらったり、いろいろな釣り方も知りました」
とにかく気になることはやってみてたしかめたという。
そして釣り場で知ったこともたくさんあったそうだ。
たとえば雨が降ったあとはナマズが釣れやすいとか、ハスはミミズや練りエサよりも、釣った小魚をエサにして水面を滑らせるように仕掛けを引くとよく釣れるなど、釣りをしながら魚の性質を学んでいった。
同時期に父親との海釣りにも行っていたが、一緒に行っているというだけで、村上少年の興味の対象は川釣りだったという。
なぜだろうか?
同じくらい興味が湧きそうなものだが…。
「海は父親に連れて行ってもらう遠い所、川は1人でも行ける近い所という認識だったんじゃないかな。たぶんそんなくらいのことだと思いますよ」
こうして中学生になった村上少年はある釣りと出会う。
「あるとき僕が釣りしてたら、ヘラブナ釣り師がちょっと遠くで釣りしていたんです。ヘラ台に座って竿をヘラ台に置いて、掛けたヘラブナを玉網でサッとすくってるのを見て『カッコええな〜、あれやりたい!』と思いました」
村上少年のいう「あれ」とはヘラブナ釣りのこと全体ではなく、ヘラ台に座って網でヘラブナをすくう動きのことだった。
「それからヘラブナ釣りをはじめました。形から入っていくと、専用の釣具や道具が欲しくなると思うんですけど、僕は割と身近なもので代用してましたね。たとえばヘラブナ釣りって、練りエサを作る専用バケツがあって、みんなはそれを欲しがるんですけど、僕はこれでええやんと、当時あった自販機のうどんのプラカップを使っていました」
ウキもすべて自作し、仕掛けもいろいろ試していたという。
ちなみにウキの自作や仕掛け作りのノウハウは父親ゆずりなのだろうか?
答えはNO。
すべて自分で考えていたと村上氏。
父親に教わったのは、糸同士、糸と鈎の結び方程度だったという。
「自分で全部考えるから楽しかったんでしょうね。それに釣具屋でヘラブナ用のウキを買うと高かったんですよ。1本6,000円くらいするものもありました。自作すれば好きな形、好きな色でウキを作れるし材料費2,000円もあればたくさん作れたんですよ」
中学1年から2年生の間の村上少年はとにかく試しごとをしていたという。
父親がもう使わなくなった竿を3本組み合わせて1本の竿にしたり(操作性はよかったが、魚が掛かるとバレる竿だったとか)、父親とのスズキ釣りで、父親が2.5〜3号のハリスを使っていれば村上少年は1.5号ハリスを使ったり(ヒット数は多いが、切られやすかったとか)など、思いつけば実践する、トライ&エラーを繰り返す、現在の釣りスタイルのベースがこの期間に築き上げられていった。
「あの年頃ってなにかに夢中になっていろんなものを吸収して成長するんじゃないですかね」
こうして中学2年生のとき、村上少年は生涯の魚といえる、ブラックバスと出会うのだった。
続く