初の取材をキッカケにその後、「釣りサンデー」でも取材を受けるようになった。
村上青年は自分が考案したリグやメソッドを誌面で紹介していった。
実はこの時点ですでにネコリグは完成していたが、まだ世には出したくないとひた隠しにしていたという。
「担当編集者の服部さんには事前にネコリグの仕組みや効果はお伝えしていたんですよ。服部さんも『これはすごい、おもしろい!』と言ってくれていましたね」
いつかは公表すべきだが、まだまだその時ではないと村上青年は考えていた。
しかしネコリグの存在を気取られるようになってきた。
それもそのはず。誌面に登場すれば知名度が上がる。
同時に「村上晴彦はブラックバスをよく釣る男」という認識にもなる。
釣り場でなにをやっているのかは気になるところ。
このためひとたび釣り場に立てば、それに気づいた周囲のアングラーは釣り方やリグに目を向けられるし、会話にも聞き耳を立てられるようになってきた。
「ネコリグ」を知られたくないあまり「常吉リグ」を考案して発表したというのは有名なエピソードとして知られている。
ちなみにその「常吉リグ」も高い釣獲力で大反響を呼び、バス釣りシーンを大きく変えたが、それ以上に「ネコリグ」は秘密にしておきたいリグだったのだ。
「それでももう隠せないな〜と感じたことがあったんですよ。ネコリグを発表する年の2月に服部さんから琵琶湖でバスボートに乗って釣りしようと誘ってもらったときでしたね」
バスボートに乗るのは初めてだった村上青年は期待に胸膨らませてボートに乗り込み出発したが、予想外の出来事に遭遇。
服部氏は漁港に立ち寄っては知り合いをボートに乗せていったのだが、いずれもバス釣りに精通したアングラーだったのだ。
スキルが高いアングラーは観察力も鋭い。
村上青年がバスを釣っていると『よく釣れますね』とか『どうやっているんですか』とこまかく聞かれ、じっくり観察もされたという。
「バレたくないのでとぼけたり、リグを替えたりしてごまかしましたね」(苦笑)
その後もネコリグを隠しながら「釣りサンデー」で、さまざまなメソッドを紹介してネコリグへの意識を分散させようとしたが、それも難しくなってきた。
村上青年は服部氏に、もうバレそうなので紹介したいと伝えると、服部氏は本とビデオで紹介する段取りをすでにとってくれていたという。
「でも、ネコリグが流行りすぎるのもなと思って、本とビデオを観た人がネコリグを強く意識しないようにネコリグ、常吉リグ、極小ガン玉フットボールリグを同時に紹介したんです。たしかビデオは、『おそるべしスーパーセコ釣り』だったと思います」
当時は釣りのビデオ販売が珍しい時代だったが、ついに公開されたネコリグを知ることができると大ヒット。バス釣りファンがこぞって取り入れ、現在は誰もが知る必釣リグとなった。
この「セコ釣り」というスタイル「常吉リグ」「ネコリグ」の公開はのちにやってくる空前のバスブームの火付け役を担った。
同時に「村上晴彦」の名は「バスをよく釣る人」から、「新たなリグやメソッドを生み出す人」として世に広まり、いつしか「オカッパリゲームの天才」と称されるように。
そしてプロアングラーへの道へとつながっていくのだった。
続く