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Murakami Haruhiko History 第6回「村上青年、バス釣りから離れる」

〈この記事を音声読み上げで聴く〉

調理師の専門学校へ入学した村上青年。専門学校時代、実は釣りにあまり行ってないとのこと。

さすがにそれまでと学ぶものが違っていたので苦労したのだろうか?

「そんなことはなかったんですよ。公衆衛生学、食品衛生学、調理理論とか、7科目あったかな。僕には全部理科だったんです。だからどの科目も勉強してないのに90点から95点取っていました。実技も入学前のバイトのおかげもあって、基本的なことは全部できる。卒業時の学校の総合成績は3位でしたね」

1位を目指せる位置にいたが、村上青年にはそんな気はさらさらなかったようだ。

「調理のことは楽しいからやってるだけで、競うことに興味がなかったんですよ。自分が楽しくて興味があることだけやっていました。それでも実技に関しては1位だったんですよ」

一誠の公式YouTubeチャンネルでも包丁さばきを披露している。料理の道を進んでいたのを知らない人は少ないかも

ならば釣りにも行っていそうなものだが?

「とにかく調理がおもしろくてそっちに興味が集中していました。釣りはヘラブナ釣りにたまに行くくらいでしたね。バイトも忙しかったし、賭け事(パチンコ)にハマッていた時期もありました。ビッグシューターの攻略法を見つけて、4ケ月連続で15万円勝ったりとかね」

※)平和工業(現:平和)が開発、発売したパチンコ機。当時は人気機種だった

興味が調理へ全集中。

このころの村上氏は釣りからもっとも遠かったかもしれない。

しかしこの学生時代に人生ではじめて悔しさを味わったという。

「調理師の専門学校生が料理の腕を競う全国大会が東京であって出たんですよ。結果は3位でした。僕は魚さばきがちょっと下手になってるかもと感じました。今思えばずっと実技1位やったからおごってたんでしょうね。バイトに精を出してたからおろそかになったとか考えると悔しかったんです。あれが人生で一番最初に悔しさを感じたときだったかも」

調理師として培った技術はいまなお健在。釣ったアジのコンディションを見極めて最高の状態で持ち帰るため、開きにして処理。ここまでするプロアングラーってほかにいないかも?

こうして、専門学校を卒業した村上青年は、料亭へ就職することに。

ここは月4回の交代制の休みで、忙しく、釣りに行っている間はなかったという。

「この料亭は1年で辞めて、次は割烹のお店に勤めたんですが、こっちは休みがちゃんとありました。釣りに行けるなと思って、ここからバス釣りに復帰しました」

新しい勤め先は、第2土曜と第3土曜と日曜、祝日が休みだった。

連休もとれたので琵琶湖釣行もしやすい。

村上青年は琵琶湖通いを再び開始。

そのペースはまさに村上晴彦らしいものだった。

「金曜日の晩に大阪を出て琵琶湖に入って、日曜の朝か月曜日の朝に帰るっていうのを繰り返していました。4年くらいやってましたね」

勤め先である割烹は大阪中央区本町にあった。村上青年は水曜日のお昼休憩のときに、同じく中央区にある老舗ショップ「フィッシングサロン心斎橋」へ釣具を買いに出かけていた。

「割烹のおやっさんのバイクを借りて釣具店に行っていました。水曜に釣具を買って、木曜日のうちにいろいろ仕込んで、金曜日に仕事が終わったら、夜中のうちに出発できるように車を準備してました。琵琶湖に着いたら夜中釣って、朝釣って、昼はちょっと寝て、昼過ぎに釣れたらセコ釣りをする。で、夜に大きいバスを狙う。ほとんどの人は日曜日の朝に来るから、僕はそのタイミングで帰っていました。だから道が混まないでささっと大阪に帰れていました」

こんな釣りを4年間ほど繰り返していれば当然目立つ存在になる。

そんな中で村上青年はある人物と出会うのだった。

バス釣りで培った釣りペースは海でも変わらず。ナイトゲームなら夕方開始で朝マズメ終了が定番。帰りに「どっか昼間に釣れる場所ない?」と言っていることも多い。超タフ!

続く

Murakami Haruhiko History
1. ここまで聞けるのはISSEI TIMESだけ! 連載【Murakami Haruhiko History】が始まります!
2. Murakami Haruhiko History 第1回「村上少年、釣りに目覚める」
3. Murakami Haruhiko History 第2回「村上少年、釣りにハマる」
4. Murakami Haruhiko History 第3回「村上少年、ブラックバスと出会う」
5. Murakami Haruhiko History 第4回「村上少年、バスフィッシングにハマる」
6. Murakami Haruhiko History 第5回「村上少年、進路を決める」
7. Murakami Haruhiko History 第6回「村上青年、バス釣りから離れる」
8. Murakami Haruhiko History 第7回「村上青年、メディアの目に止まる」
9. Murakami Haruhiko History 第8回「村上青年、躍動する」
10. Murakami Haruhiko History 第9回「村上青年、休みなきアングラー生活」
11. Murakami Haruhiko History 第10回「プロアングラー・村上晴彦誕生!」
12. Murakami Haruhiko History 第11回「村上晴彦、それからとこれから」
13. Murakami Haruhiko History 外伝 其の壱 「常吉」と「村上晴彦」
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