村上晴彦氏の歩みを辿るうえで欠かせないワードはいくつもあるが、「常吉」はその筆頭だろう。
プロアングラーとして活動するずっと以前から自身が使ってきた愛着のあるワードでもあるからだ。
「はじまりはエノケン(※)と立ち上げたチーム名だったんですよ。『チーム常吉』ね。当時は2人で常によく釣っていたので縁起かつぎで『常に吉』、『常吉』としたんです」
※)榎本健太郎氏。村上氏の長きにわたる友人の1人。2人で活動していた釣りチームが「チーム常吉」。常吉もネコリグも名付けるキッカケを作ったのが榎本氏
これがのちに自身の代名詞、会社名、製品名に冠するまでになるとは当時は思いもしなかったそうだ。
「常吉」の名が最初に世に広まったのは、村上氏考案の「常吉リグ」によるもの。
「釣り雑誌で公開するのに名前がなかったんですよ。記事を担当してくださっていた釣りサンデー編集部の服部さんから『なんか付けてほしい』と言われて。よく釣れるリグだったので、チーム常吉にちなんで『常吉リグ』と命名しました」
常吉リグは同時期に世に発表した村上氏考案の「ネコリグ」「スモラバ」とともに爆発的に世に広まってバスシーンを席巻。第2次バスブームを牽引。同時に「村上晴彦」の名前も世に広まっていった。
人気の後押しを受けて「K-GOODプランニング」から村上氏デザインの『常吉ワーム』がリリース。
村上印の釣り道具第1弾である常吉ワームは、常吉リグに使うワームとしてわかりやすく空前の大ヒット。
これを機に村上氏は調理師とプロアングラーの二足の草鞋からプロアングラー1本の活動へと舵を切ることとなった。
その後、ルアーメーカー「TSUNEKICHI」が立ち上がり、村上氏はルアーデザイナーとして「浜ミノー」「ウオデス」「ハンハントレーラー」といった数々の銘作ルアーを生み出し、「常吉」の名はさらに世に広がりを見せていった。
事態が急転したのは、2012年の「常吉事件」(※)。
これにより自身の代名詞でもあった「常吉」と離別することとなってしまった。
※)TSUNEKICHIのHPにも当時の状況がうかがえる一文が掲載されている。現在、両者は円満な和解にいたっている
自身が生み出し、長年共に歩んできた、決して離れることはないはずの愛着ある名との望まぬ離別。
当時の村上氏の心境は筆舌に尽くし難い。
だが、村上氏は歩みを止めなかった。
2013年に「ISSEI」として再スタートを切り、アングラーとして楽しい釣りを観せながらデザイナーとしては『スパテラ』『ザリバイブ』『ギルフラット』などヒットルアーを次々と発表していった。
「ISSEIを立ち上げて活動を再開するとき、自分は間違ったことはなにひとつしていないのだから、アングラーとして、ルアーデザイナーとして一途に誠実に活動していくしかないと思っていました」
その想いで気づけば10年以上の年月が経過。
「ISSEI」の名はすっかり世の中へ浸透していた。
いつしか村上氏の手元には「常吉」が戻ってきていた。
数々の銘作ルアーが復刻なるか?
ユーザー目線では期待してしまうが、その機会はまだごくわずか。
愛着があるからこそ、安易に常吉ルアーを展開することはできない。
そして「ISSEI」として歩んでいる今とこれから先を見据えている村上氏には過去への依存固執はない。
ただ歩んでいく中で村上氏の中にある「常吉」も新たな姿になって登場する可能性は十分ありえる。
村上氏の今後の歩みに期待したい!