滋賀に生まれた赤松健氏。父親が釣り好きで、自宅近くに清流があるという環境から、「釣りが好き」という実感を覚える以前に、釣りは身体になじんだものだったという。
「いつはじめたのかさすがに覚えてないですが、3歳のころには父親に連れられて自宅近くの清流へ小物釣りに行っては、カワムツ、オイカワを釣っていましたね。その後は父親の影響でヘラブナ釣りに傾倒しました」
幼少期から小学校低学年までヘラブラ釣りに夢中になっていたが、高学年になると第2次バスフィッシングブームがやってきた。このときルアーフィッシングの存在を知ることになるのだが、周囲の盛り上がりをよそに、赤松少年は変わらずヘラブナ釣りに夢中だったという。
みなが騒いでいるブラックバスもヘラブナ釣りの最中に、鈎に小さな練りエサをつけてアクションさせると、小型ではあるが釣れることを知っていたからだろうと赤松氏は振り返る。
しかし擬似餌への興味は確実に高まっていた。
これには漫画「釣りキチ三平」の影響も大きかったという。
なかでも、山鳥の羽で作った毛鈎は魚がよく釣れるというエピソードに衝撃を受け、さっそく山鳥の羽を収集して毛ばりを作り、テンカラを真似た仕掛けと釣り方でオイカワを釣って遊んでいたそうだ。
赤松氏のモノ造りはこのころにははじまっていたのである。
この自作毛鈎での釣りを通して、赤松氏は「ルアーは手返しがいい釣り」だと実感。
また、この経験が擬似餌=ルアーで釣れるブラックバスへの興味を掻き立てた。
「ちょうどこの年のクリスマスに親からルアーとロッドとリールがセットになった、いわゆる入門セットをもらったんです。これが最初のルアータックルでしたね」
さっそく近くの野池でルアーでバスを釣って遊んでいたが、次第にいろんなルアーが欲しくなるもの。
しかし身近にはルアーをたくさん扱う釣具店はなかったし、人気のルアーは小学生には高価なものだった。
「自分で造ればいいじゃないか」
そう考え、ルアー造りに取り組むようになっていった。
「工程なんてわからなかったですし、持っているルアーを参考に適当な木材を削ってオモリを入れて見よう見まねでミノーを作りました。初作は小学校の高学年のときでしたね。でも、あんまり飛ばないし、すぐ壊れそうな出来だったんでできれば使いたくなかったんです。ただ泳ぎはそれっぽくできていたから、釣る用じゃなくて友達に泳がせて見せて自慢する用でしたね(笑)。2個目に作ったルアーではじめてバスを釣りました」
生き物好き、技術工作、美術、理科、家庭科が得意科目だった赤松少年(学校の絵や工作のコンクールでは頻繁に受賞していたという)。いずれもモノ造りに欠かせない要素ばかり。
バスブームがきっかけとなったが、ルアーフィッシング、そしてモノ造りに目覚めるのは必然だったのだ。
続く