大学卒業までは琵琶湖でのバス釣りにどっぷりと浸かっていたが、社会人になって生活が一変。赤松氏は就職で地元の滋賀を離れ、大阪や兵庫が生活の拠点となり、釣りスタイルにも変化が訪れていた。
「海が近い環境だったので、琵琶湖へのバス釣りはたまに行くくらいで、近場の河川や漁港でシーバスを狙ったり、大阪湾でのショアジギング、オフショアジギングに傾倒しました」
現在のスタイルを思えば、バス釣りから離れた期間があったのは意外な気もするが、釣りへの情熱はフィールド、ジャンルが変われど途切れることはなかった。
当時の自宅がシーバスが釣れる河川の近くだったので週に数回仕事終わりにシーバス狙いに出かけ、休日は毎週のようにショアジギング、オフショアジギングへ出掛けていたという。
ルアー造りも海を主戦場にしても継続していた。シーバス用のシンキングペンシルをよく造っており、造ったルアーは海だけでなく、バス釣りにも使っていたそうだ。
「メタルジグに関しては、メーカー製品を買っていました。メタルジグを自作していた経験があったので、どういうものが自分の釣りに合うかの目利きができていて、たくさんの中から好みのものを選ぶ楽しさを感じていましたね」
海釣りにどっぷり浸かっている間も村上氏との交流は続いていた。どこでどんな魚を釣ったとか、いまはこんな釣り方を試しているといった情報交換をしていたという。
その後、2012年に愛知県名古屋に転勤となり、岐阜県の五三川や琵琶湖が近い環境になったことで、バス釣りへ再び通うように。
この期間は、海釣り、バス釣り、モノ造り、本業の仕事の繰り返しだったという。
「寝てる時間が少なかった記憶だけありますね。しんどいな~と思っていても、とにかく釣りに行きたい、ルアーを造りたい。その気持ちが強かったです」
その翌年に人生の転機となる声がけが村上氏からなされたのだった。
続く