赤松少年が中学生になると、バスブームはますます加熱し、彼のバスフィシング、ルアー造りへの情熱も加速し続けていった。
「当時、仲間内では有名メーカーのルアーを買った! なんて、ルアーを買い揃えることを自慢し合っていたんですが、僕はそこに参戦せず、よく釣れるルアーよりも釣れるルアーを自分で造るぞ! と、燃えていました。お小遣いはルアーの材料や消耗品の釣り糸に注ぎ込んでいましたね」
大ブームの中でも自分のスタイルを見つけて楽しんでいたようだ。
とはいえ、ルアーの材料費もバカにならない。
そこで思いついたのが、中学校の技術室の利用だった。
「技術の先生が釣り好きで理解があったんですよ。放課後に技術室をこっそり開けてもらって、端材と工具を使わせてもらっていました。さすがに電動工具までは使わせてもらえませんでしたけど、端材と工具が自由に使える。中学生にとってはなかなかの環境じゃないでしょうか」
このころはとにかくルアーを造ることが楽しかったという。失敗すればその原因を突き止める、改良して解決するなどひとつひとつが経験になっていった。
やるならとことん突き詰めたいという赤松氏の性格が感じ取れるエピソードだ。
「たとえば、よく釣れるといわれるルアーを観察して、真似て作ったのに、全然動かないんです。よくよく観察すると、ボディの形状は似ててもアイの位置が違う。それを直せばよく動くし、ルアーの動きがまったく変わるんです。アイの位置って重要なんだとか、リップの形や長さも大切なんだな〜とか、そういうことに気づいていくのが本当に楽しかったですね」
どうすればルアーがもっと飛ぶのか、どうすればルアーがよく動いてくれるのかを身を持って知ったこの経験は現在も続くルアー造りに活かされているのは言うまでもない。
その後もバス釣りにどっぷりハマった中学生ライフを送っていたが、高校生になると生活が一変。釣りにあまり行けなくなったのだ。
釣りへの情熱が冷めてしまったのだろうか?
「高校時代はヨット部に所属していて、その部活動が忙しかったんです。釣りに行きたい気持ちは変わらずあるんですけど、それまでのペースでは行けなくなっていましたね」
中途半端にならないよう、高校時代は部活にしっかり打ち込んだと赤松氏。
「でも、練習場所が琵琶湖なんですよ。それまで野池で釣りしていて、琵琶湖は憧れの場所だったので、行き帰りのときに琵琶湖の釣りをかじり始めました」
こうして高校を卒業し、大学進学と同時に琵琶湖でのバス釣りを本格的に開始。そして「村上晴彦」との出会いがやってきたのだった。
続く